11月1日〜7日まで

2002年11月 1日 まぢゃの受難、そして… ■ お天気
極めて悲しい一日
まぢゃの様子がいよいよおかしい。
呼吸が著しく荒れ模様。
僕の職場の先輩で、顔が広い女性の方に車で知ってる病院に連れていってもらうも、
日製病院へ連れていくようにとの指示。
今度は僕も同行。
診断の結果、『大動脈解離』。
救急車で日立市の日製病院へ搬送。
検査やその他手続きを経て手術開始が午後4時。
同行してもらった先輩は翌日の仕事の段取りの為帰宅。
終了予定が12時間後。
この間、売店で弁当を購入し、深夜の呼び出しに備える。
余りにも長い12時間が経過、手術が無事に終わり、執刀担当の先生から状況を伺った。
動脈が肥大しており、そこに亀裂が出来、
血液が左足まで達し、心臓事体も機能が低下、つまり心不全、連動して肺に水が溜まり、更に腎臓付近の血管にも瘤が認められ、生命の存亡の危機だった。
人工心肺、腎臓血管バイパス、人造弁、人工血管。
まぢゃの手術のキーワード。
2002年11月 1日 何しろ痛かった<退院後 まぢゃのつけたし ■ お天気 忘れたt ■ お天気 忘れた

痛くて苦しくて『このまま死んじゃうカモ〜』って思ったぁ。
キャバ(たれ)の職場の先輩の紹介&車で 病院に行くとレントゲン+問診。
酸素吸入してもらって やっと餅つく。
どうやらヤバイ病気らしく 大きい病院宛に紹介状を書いてもらい 先輩の車で移動。
車を降りて 歩いて病院に入ろうとすると 車椅子を持って来た看護婦さんが、まぢゃが座ろうとすると『あ、コレは違うんです』って。
そして看護婦さん『まぢゃ(本名)さんは?』って、オイオイ あたしだよ!と思いつつ『私ですけど・・・』
看護婦さんビックリ。
『歩いて来られると思わなかったので』だって。
それからは 検査、検査、CTやらレントゲンやら、挙げ句の果てに『すぐ手術しないといけません』だって。
その後 手術の出来る病院へ、今度は救急車で運ばれる。
この頃には『動いちゃダメ』状態に。。。
そして次の病院に着いて 意識不明。
2002年11月 2日 まずは危機を回避 ■ お天気

ほっとしつつも悲しい日
まぢゃの手術が無事に終わり、危険率50%も回避された。
未だ予断は許さない。
まぢゃも、よくぞ頑張った!
もっと早く気付いてやれば良かった、と後悔しきり。
CCUで完全看護なので、僕は指示された時間しか面会出来ないし、仕事の都合も有るので、毎日会いに行きたいが、飛び飛びになるだろう。医療団に任せるしかない。
まぢゃは住民票をひたちなか市に持って来てないから費用も馬鹿にならない。
だが、最小限にする方法も必ず有るはず。
心強い事に、まぢゃがWebで知り合った方々、僕がお世話になってる方々の支援を頂戴している。有難い。
明日は昼12時に面会に行く。
2002年11月 3日 一筋の光明 ■ お天気

何はともあれ今回のまぢゃの状況を実家に知らせないと、話が進まない。
まぢゃ本人が自分の意志で僕の処に転がり込んで来たとはいえ、説得出来なかった自分にも非が有ると認めざるを得ない。
そこで、意を決して実家に先日から電話していた。
そして、ようやく繋がった。
お父さんは、話し方は冷静だが動揺までは隠し切れず、
『何だか解んないんだよなぁ〜』しか返事出来なかった。
それでも真摯に対応してくれて、僕から、住民票や保険をこっちに異動させる旨、
落ち着いたら入籍させて欲しい旨を伝える。
『あんな娘ですが、宜しくお願いします。』の返事。
2002年11月 3日 本日の状態は ■ お天気

今日の昼に病院に行って来た。
術後1日目である事から、昨日から比べても大した進展は見られないが、輸血用のチューブが外された。
腎臓の機能が低下しているので尿の出具合が悪い。これについては利尿剤を投与しているので、機能が回復されたら大量の尿が出るだろう。それに伴い、全身のむくみも
取れるだろう、と予測される。
血圧 118/68
心拍数 120
体温 38度
声を掛ける。『ま〜ぢゃ♪たれしゃんだよぉ〜♪』
すると、微かではあるが反応する。
無意識の筋肉の動きであるが、まぢゃの耳には僕の声は届いただろうか。きっと届いたに違いない、そう信じたい。
明日が楽しみ。
2002年11月 4日 今日の状態&スーパーなお方 ■ お天気

朝10時頃、CCUに詰めているDr.から電話が有り、『尿の出具合が芳しくなく、このままだと危険ですので、人工透析を行いますが、宜しいでしょうか?』との事。
勿論承諾する。
千恵ちゃんが、予告して下さってた通り、
甲府からわざわざ駆け付けて下さった。
日立駅のホームで待ち合わせなので、僕は電車から千恵ちゃんらしき女性を確認、そちらに向かう。
すると、作家の筒井康隆先生そっくりのナイスミドルな男性が傍らに。
そう、さすらいさんである。
御実家からこちらに向かって来て下さった。この上ない応援団に、凄く感激する。
『気持ち程度で申し訳ないけど』と言いつつ、見舞金まで頂戴する。かたじけない。
かなり助かる。交通費、衣料代、当座の生活費として充分過ぎる位。本当に助かる。
正直、金銭的援助がこれからも必要であろうから、躊躇なく受け取る。
タクシーで病院に到着。
早速CCUに向かう。千恵ちゃん、さすらいさんはまぢゃのお父さんの親戚って事で入室。
主治医の話によると、今回から実施されたのは、『血液透析』で、血液を一旦透析機に送り込み、そこで濾過して不純物を取り除き、腎臓の代りとして体外に排出させる、事だそうだ。
これを一度行って、改善の兆候が見られれば、何とかいけそうだ。
血圧 135前後/68
心拍数 102
千恵ちゃんが声を掛ける。
まぢゃの喉や首筋、陰部等にチューブが入っている為に、時折無意識に窮屈そうな顔をする。
小さいが『ぅ〜ん』とも言う。
痛々しい。
もし、どらえもんが存在して、四次元ポケットから何か出してもらえるとすれば、
瞬時に魂を入れ替える機械を出して欲しい。
そうすれば、まぢゃと僕を入れ替えられるのに。
顔色はすこぶる良いようだ。希望の顔色だ。
時間が来たので駅に向かい、イトーヨーカ堂で食事を頂く。
満腹になり満足したところで電車にギリギリで飛び乗る。
千恵ちゃんは山梨在住なので、海を見る機会が中々無いのでしょう、背後に広がる海原を見て感激する千恵ちゃんは可愛らしかった。
2002年11月 4日 今日の状態&スーパーなお方 2 ■ お天気

ちょっと長くなりそうだったのでもう1回ここに書く。
先程にわか雨が降ったようで、虹が見えた。さすらいさん曰く『希望の光だね。』
言い得て妙。
折角御出で下さったのだから、時間が許す限り、生のもぎゅたん、まちゅ、べぃべ〜達を見てもらいに我が家に立ち寄ってもらう。
可愛らしいもぎゅたんの姿にとても喜んでた。べぃべ〜達をだっこして更に嬉しそう。やはり、ウサギに限らず動物は人間にとっては欠かせない心の拠り所。心が和む。
まぢゃMac、通称ぶるべり君にも触れてもらう。さすらいさんはMacには慣れてなく、ついつい左クリックの癖が出て、マウスの動作がぎこちなかったのが可愛い。
今日は僕にとっても有意義な時間を過ごす事が出来た。支えてくれる人達が居ると、
人間である事の素晴らしさを実感せずにはいられない。
明日はソーシャルワーカーさんに相談をする予定。
2002年11月 5日 午前4時現在 ■ お天気 微妙に晴れに…

配達を終えて、『入院保証書』に、うちの職場の所長に署名、捺印してもらう。
その時に『入院案内に記載されている…』という文章が盛り込まれており、所長から「これな〜に?」て質問され、僕の処には『入院案内』は無いのでどんな書類なのか確かめる為に病院に電話する。
したら、院内の施設の案内らしい。
それは流石に頂戴していない。返事に困るのも無理は無かった。
ついでにまぢゃの容態を聞いてみる。
昨日の血液透析が効を奏したのか、余分な水分が2キロ程度排出されたそうだ。
気持ち程度ではあるが、むくみも緩和されてきているらしい。
そうだよなぁ。2キロったら、ペットボトル2本分だもんなぁ。
どの程度毒素が消えたか、朝の血液検査で
見てみない事にはハッキリと断言出来ないが、この分ならかなりの期待は出来ると思う。
2002年11月 5日 いよいよ平日なので ■ お天気

配達を終えて、朝9時前に起床。
今日はいよいよ平日なので病院も市役所も
オープン。まぢゃの保険の状態の改善を進めるべく、動けるだけ動く。
起床して直ぐに配達用のバイクで病院へ向かう。何せ電車、バス等を使うとドアからドアまで1時間は掛かる。
実際に走ってみて、意外に近い。渋滞が無ければ30分で到着出来る。
9時40分に病院に到着。早速ソーシャルワーカーの新野 加代さんに御会いする。
痛く心配なされてて、人間の優しさを実感する。某天皇一族の『心を痛めてます』といった社交辞令が如何に冷たいかが良く解る。
では、一連の流れを記す。
1:新野 加代さんからは、『自治体によっては住民票の前に保険証を作れるケースも有るので、保健課に問い合わせてみましょう。』とのアドバイス。途中、医事課の沼田 紀江さんも話に合流。今後色々医療費について相談に乗って下さる。
2:CCUにお邪魔する。血液透析を行ったので、むくみも若干では有るが取れてきたみたいだ。顔色もすこぶる良い。
血圧 118/68
心拍数 92
3:ひたちなか市に帰ってきて、早速ひたちなか市役所福祉部国保年金課長補佐の山崎 隆さんに事情を説明するも、やはり住民票が無いと保険は作れない、社会保険に加入していたら、脱退した年月日も重要になってくる、とのアドバイス。
4:熊谷市役所市民課の田部井さんに相談する。やはりプライバシーの問題も有って、まぢゃの保険の状態は僕には教えられないが、病院には教えられるらしく、病院の医事課の電話番号を教える。
5:先回りして、医事課の沼田 紀江さんに連絡して、熊谷市役所市民課の田部井さんから連絡が来たら、報告結果を僕に知らせて下さる様に頼む。程なく折り返し電話が沼田さんから入り、
『社会保険には平成11年10月13日に加入していた』とのこと。その回答を、
ひたちなか市役所福祉部国保年金課長補佐の山崎 隆さんにそのまま報告。山崎 隆さんがそれを受け、全国社会保険ネットワークを使って、脱退した年月日を調査。
平成12年11月に脱退した、つまり離職した事が判明する。
6:この時点で、住民票をひたちなか市に異動させる事を確定させる。熊谷市役所市民課の田部井さんに、僕と言う第3者が介在する場合の転出届の申請の方法を教わる。やはりお父さんの協力が必要不可欠で、転出証明にはお父さんに手続きをお願いする格好に。
本日、僕が出来るのはここまで。
後は徐々に進展が見られるのを希望の光として受け止める。
2002年11月 6日 昨日書き忘れたが ■ お天気

昨日書き忘れたが、ソーシャルワーカーの
新野さんの話では、障害者適用に付いて、
『人工弁、人工血管等を使用した場合、障害者の適用が認められる可能性が有る』との事。
今回のまぢゃの手術では、間違い無く使用している。よって、医療費負担が更に軽減されるのではないかと考える。
今日は、まぢゃお父さんに手紙を書く。
住民票異動に伴う熊谷市からの転出手続き、ひたちなか市への転入手続きに伴う委任状記入の依頼。
合わせて、僕の現住所、連絡先。
2002年11月 6日 アイコンパレード〜呼吸器機能拡張 ■ お天気

Windowsユーザには解るでしょうか?この
『アイコンパレード』って。
Macintoshを起動した時に機能拡張が読み込まれ、アイコンが左から出現する状態です。
『勿体ぶってないで早く言いなさい!』はい解りました。
今日のまぢゃの様子は、アイコンパレードが始まった状態そのもの。
今日午前9時30分現在、麻酔を解除!
徐々に昏睡状態から覚醒され、自力で呼吸が出来る様になったら、いよいよ、いよいよ!呼吸器を外す段階に至った!
感動した!
いつもの通り、まぢゃに朝の挨拶をする。
すると、表情が少し和らぐ。
看護婦さんからも、『表情が出てきてます』との事。
薄く開かれてる目からは、黒目がヒョコヒョコ動き始めている。試しに指を左右に動かすと、黒目も一緒に左右についてくる。いよいよ本物だ!
流石に僕も連日の病院通いで、少々疲れてきてるから、今度の月曜日は休刊日という事も有り、月曜日だけはお暇を頂戴する旨をまぢゃに言うと、『ぇ〜?ぁぅ。』と言わんばかりに眉間にしわを寄せる。近い。
自力呼吸も間近だ!
頑張れ!
さて、肝心の急性腎不全だが、未だ回復の様子は見られない。現状維持のまま。
医療機関にお勤めの、プチ君@渡辺純一さんからのメールによると、
『でもまだ術後間もないですし、大手だったわけですから、それを考えると多少のトラブルは仕方ないのかもしれませんね。』
との事。それを知ってほっと胸をなで下ろす。
それにしても内臓だから外からは中々伺い知れないもんだから、外科、整形外科よりややこしい。
血圧 145/72
心拍数 85
2002年11月 7日 お父さんに依頼 ■ お天気

昨夜、4日振りにまぢゃ父さんに電話をする。住民票の移転手続きのお手伝いの為。
転出届の中の必要事項で、僕が書ける箇所は全て書き、本籍地、戸籍筆頭者、届出する人(この場合まぢゃ父さん)の生年月日、みとめの印鑑はまぢゃ父さんに書いてもらったり押してもらったりして、熊谷市役所に郵送してもらえる様に電話で話す。
僕は創価学会の人間だ。で、まぢゃお父さん、そしてまぢゃは共産党員である。
憲法では宗教の自由が認められているが、僕からしても、創価学会の勧誘の方法は何だか違和感が有る。
『お題目を唱えれば病気が治る』てのが必ず出てくる。そんなんで治るなら医者、看護婦、病院なんか不要になる。
現代では、原因不明の病気は多数有り、極端に言えば、人間の数だけ病気が有ると言っても過言では無い。
まぢゃ父さんによれば、御自身が共産党員と言う事も有り、創価学会、それが支持する公明党を極度に嫌っている。
まぢゃ父さんからは、娘を学会に入れないでくれ、との事。素直に従うつもり。
いくら宗教の自由が憲法で保証されてても、親子の絆を壊してまで入会、入信させる積もりは僕も全く無い。
それでも、学会の方が『入信しましょう』
なんて言ってきたら、僕は学会を脱退する。学会に入った事で救われた例も沢山有るが、救われなかった例も沢山有る。
現に、僕の2番目のおふくろが、親父の家庭内暴力、収入の低さに悩み、学会に入信したが為に、一度一家離散しているから。
良い面はどんどん布教するが(広宣流布と言っている)、悪い面は隠蔽して止まない。まるで読売新聞みたいだ。
さて、今日は昼に面会に行ってこよう。
昨日の時点で麻酔を解除したのは前述の通りなので、また進捗が有れば嬉しい。
10日に千恵ちゃん達が大勢で来て下さる。わざわざ遠くから来て下さる。
来て下さる事に対しての勞いの言葉をかけよう。
2002年11月 7日 アイコンパレード〜腎臓機能拡張 ■ お天気

今日は少し寝坊してしまった。
急いでバイクで向かう途中、テールランプが壊れ、しかもそろそろエンジンオイル交換の時期なのを思い出し、馴染みのバイク屋に駆け込む。
急いで病院に向かう。
12時15分頃到着。
正直、驚いた。
まぢゃが、目を開けた!半開きでは有るが、かなり大きく目を開いた!
そして、血液透析機を外した状態でも、尿が頻繁に排出され始めた!
そして、まぢゃに力が戻り始めた!見舞いに来たのが解るや否や、手を差し伸べてきた!思わず握り返す。温かい。『力、入りゅ?』(←まぢゃ語)と言うと、ちゃんと握り返してきた!
『良く頑張ったね!もう少しの辛抱だからね!』と激励すると、うんうんと、2回首を縦に振って、頷いた!
そして、婦長さんの話では、人工呼吸器は未だ外せないものの、今までは酸素を連続的に供給してたのを、今日から半分にして、残りの半分は自力呼吸しているから、
完全に自力呼吸出来るようになるのが、見通しでは今週中なので、そうしたら人工呼吸器が外せる!大森 友子婦長、有難うございます!
見逃せないのが、腹部から出ているドレーンチューブ。心臓からはみ出た血液を体外に排出させるのだが、その量も著しく減少して、看護婦さんが、チューブ専用のローラーで、血液が凝固しない内に排出させていた。これはどういう事かと言うと、
チューブの中の血液が少なくなった

内出血が顕著に減少

心臓からの内出血が止まってきている!
こんなに嬉しい兆候が、現に目の前で繰り広げられている事に、僕は男泣き。
嬉しくない訳がない。
時折、身体に異物が入ってる事にうざったく感じるのか、苦しそうな表情を浮かべる。
身体を掻きむしる事が無いように、両手両足を安全帯で固定させている。
血圧 132/72
心拍数 71
急に心拍数が下がって落ち着いてきた。
いいぞいいぞその調子だ!
喜びを噛み締めて、食事の後帰宅する。
さすらいさんが仰っていた『希望の虹』を思い出す。本当に虹が生命の希望の光を放出していたのかも。

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